錦織 一清(にしきおり かずきよ、1965年5月22日 - )は、日本のダンサー、歌手、声優、俳優、タレント、演出家で、男性アイドルグループ「ジャニーズ少年隊」を経て「少年隊」のリーダー。愛称は、ファンからは「ニッキ」、メンバー内では「ニシキ」。 東京都世田谷区赤堤の出身、3歳から東京都江戸川区平 73キロバイト (8,852 語) - 2022年5月15日 (日) 14:36 |
少年隊・錦織一清「東山紀之の連絡先は知らない」本当のメンバー仲とジャニーさんからの金言
2022年5月18日 16時0分 週刊女性PRIME
https://news.yahoo.co.jp/articles/9376082aa22c92f7ce75bfc4066742e83f6b84af
錦織一清。寄席が好きだった父親と、ジョークばかり言っていたジャニーさんの影響もあり、質問に軽快に答えていた
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
1980年代に歌とダンスで多くの人を魅了した『少年隊』。メンバーのひとりとして活躍した錦織一清は、当時の熱狂をこう振り返る。
「僕は東京の下町育ちのいわゆる江戸っ子。女性ファンの声援はすごく喜ばしいことですけど、どこか俯瞰して見ていましたね」
12歳のとき、姉がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことでエンターテイメントの世界に入った錦織。'81年にジャニー喜多川さんの呼びかけで植草克秀、東山紀之との3人のグループが結成される。
◆ジャニーさんからはダメ出し続き
「当時、レコードデビューはもちろん『少年隊』としてどんな活動をしていくかもまったく決まっていなかった。それにもかかわらず、フジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演の話が持ち上がったんです。番組プロデューサーと打ち合わせをしたときも“レコードを出していない歌手を出すなんて前例がない”と難色を示されました。もし、あのときOKをもらえなければ、今の僕らはなかったかもしれません」
周囲の期待に応えるように'85年にリリースした『仮面舞踏会』は、デビュー曲にもかかわらずオリコンチャートで初登場1位を獲得。翌'86年から青山劇場で少年隊の主演ミュージカル『PLAYZONE(以下、プレゾン)』が始まるなど、着実にスターダムを駆け上がっていく。
「プレゾンはジャニーさんと事務所主導だったので、僕らがこんな曲を使いたい、こんな役にしてほしいといった要望は反映してもらえました。毎年1回、1か月間の公演を23年間青山劇場でやらせていただきました」
師であるジャニーさんからは、ダメ出し続きだった。
「全然褒めてくれませんでした。外では“少年隊は自分の最高傑作”と語ってくれたそうですが、僕らの前で決して言わなかったのが、なんか信憑性があるなとも思います。ジャニーさんが“タレントは年齢を重ねるごとに、ちやほやされて耳触りのいいことを言われるから、勘違いするんだよ”って言ってくれたことは今でも覚えていますね。それもあって、日頃から漠然と仕事をしているとファンの心を弄ぶことになってしまうなとも思っていました」
真摯に芸能活動を続けていた錦織。演劇に深く関わり続けた縁もあり、数多くの名作戯曲を生み出したつかこうへいさんに見いだされて'99年には『蒲田行進曲』の主役に抜擢される。
「つかさんの舞台は出合う前から好きでした。あの人の舞台は、稽古のときから常に全力なんです。何度も同じセリフを大声で繰り返すので、激しい稽古でしたよ。この経験が芸能人としての分岐点のひとつだったと思います」
◆少年隊のリーダーはジャニーさん
日本のショービジネスの大物2人の教えを受け、演劇に関する思いを強めていった錦織。次第に、ジャニーさんから舞台演出の仕事も任されるようになる。
その一方で、'08年には少年隊主演のプレゾンが終了するなど、グループとしての活動は縮小していったが、この方針転換は“織り込み済み”だったようだ。
「ジャニーさんは結成当時から“少年隊はグループじゃない。ゆくゆくはひとりひとりで、活動できなきゃダメだ”と言っていました。僕らは仲がよかったとかではなく、ジャニーさんのセンスで集められたところから始まっています*。最初から、それぞれが別々に活動する構想だったんですよ」
そもそも『少年隊』というグループは、ほかのアイドルとは一線を画していた。
「よく『少年隊』のリーダーは自分だと言われますが、正しくはジャニーさん。グループの活動はジャニーさんや事務所主導で決められていました。だから、僕ら3人で集まってミーティングをしたり、活動方針を決めたことは0回。後輩の『V6』や『嵐』たちはメンバー同士で話し合って活動方針を決めたりしていましたが、僕らはなかったんです」
ゲーム
>>1
この人誰だよ
>>1
昔の仲本工事かと思った
しゃべりも上手だったな。
国分なんかよりよっぽど司会もできそう
>>5
ちょっとADHDなのかなっていうくらい落ち着きがなくて
しゃべり出すと、全然会話のキャッチボールができないけど?
いつも前のめって話してる
徹子とやり取りするともう放送事故レベル
昔のグループはみんな仲悪いなw
>>12
アイドルはソロで歌うのが全盛期に
無理やりくっつけて活動させるから
もうバチバチよ
>>12
TOKIOは仲良しらしい
だから松岡は山口のロリコン性癖を昔から知ってたんだな
>>20
キンキから変わった気がする。V6も仲いいっぽいし
>>20>>35
そうかな?TOKIOV6から変わったんじゃない?
キンキは連絡先知らないといいつつ実は知ってたしTOKIOやV6よりも裏では仲良かった
むしろ一緒にプラベでもいたほどだよ
>>60
悪いデビュー順キンキ→TOKIO→V6かと思ってたわ
仲良しはTOKIOからだな
>>60
それ30代あたりからじゃないかな。若い時はそれこそ顔見るのも嫌だったろうし。
>>76
TOKIOはそうかもな
キンキはデビュー前から仲良かった
V6は結成時みんなバラバラだったけど最後やっと話せるようになったらしいね
>>87
関西ボーイズ時代はそれこそ子供同士だったからな。
10代後半から忙しすぎて、それこそ顔合わせるのも嫌だったと。
30あたりで打ち上げとか、ようやく席並んでも抵抗なくなったとか
>>20
V6から変わってしまった感じ
キンキまでは仲良かったから
あとトキオはかなり仲悪くてしょっちゅう喧嘩してた
>>64
いつも思うんだが、「仲がいい」はともかく「仲が悪い」の基準がよくわからない
仕事を真摯にしていたら、特にショービズっていう結果が出るまで成否が見えにくい仕事じゃぶつかり合うことは普通のことだしむしろぶつからない方がおかしい
プライベートで特に接点が無いからといって嫌いあってるとは限らない(普通のリーマンとかそうだよな)
仕事をちゃんと問題なくこなしてるなら、プライベートでの付き合いなんて無かったとしてもよくないか?
>>64
トキオは先輩後輩の上下関係がしっかりしているだけだから、仲が良い悪いは違うと思う。
>>86
いや国分と松岡が喧嘩よくしてた
長瀬は下っぱだからポツンとしてたんだよね
>>91
上下関係キッチリやりたい松岡と、なあなあでやりたい末っ子気質な国分が合わないのもしゃーない。
長瀬はまあ特殊。
とはいえ、今もトキオがカタチになっているのは正しかったのだろう。
>>13
*ガイジ
東山って女をゴミ箱に投げ捨てるような奴やからな
>>18
人間として終わってるな(笑)
>>18
おまんだけは許さんぜよ!
>>80
ナンノこれしきっ!
想像通りの2-1の関係
>>32
2人がジャニーズやめる時に
収入が二桁違うと報じられてたからな。
デカメロンって良い曲だったよな
>>43
ゆってぃ乙
スレタイは「東山紀之の連絡先は知らない」になってるけど、
本文は「あと1名の連絡先」だからな。名前を出さないのは怖い。
>>50
闇が深いな
東山なんてダンスも棒だし芝居も棒だし、出世したのは森光子のおかげ
>>61
大御所に気に入られるのも才能。それこそ何十年単位ってなると。
>>78
婆とできる根性があるかどうかだな
>>85
ほぼ口減らしみたく芸能界入りしたからな。
ジジイであれババアであれってのもわからんでも。
それこそ覚悟が違う。
V6も嵐も 仕事として 仲が悪いようには振るわない、を頑張っていたんではないかね
昔の学校へ行こうとか見ててほんと森田剛って人格障害じゃないかって思ってたもん
あれがセンターだったし人気も一番だったんだ*
ちょっと前に ガンバレルーヤのよしこが 森田剛と三宅健に
お前ら目当てでファンになるけど みんな最後は 長野くんが一番好きになるんだよ!って
言ってたの笑ったわ
嵐も五人で新年会したよ!とか言ってたもんね
>>71
トニセン連中はガチで良い人そうだもんな。
>>71
濃い下を穏健派の上が「しょうがねーなー」と見守る構図にしたのがV6の編成の狙いだったんだろうな
ヒガシに初めて会った時の高倉健「俺の若い頃に似ているな」
>>77
似てねーw
>>77
草なぎの方が似てる
ハゲのくせに自己評価が高すぎ、東の靴をなめて使ってもらえばよかったのに、プライドじゃ金にならないですよーだ。
>>94
グループの時、真ん中だったプライドかな
コメント
コメントする