中森 明菜(なかもり あきな、1965年(昭和40年)7月13日 - )は、日本の歌手、女優。本名同じ。1982年5月1日デビュー。1980年代を代表する女性アイドル歌手であり、数多くのヒットナンバーを世に送った。アイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、82年組の1人である。 114キロバイト (13,904 語) - 2022年4月30日 (土) 13:00 |
中森明菜 近藤真彦と熱愛、自殺未遂後に衝撃会見…目撃した波乱万丈の40年
抜群のセンスと数々のヒット曲で日本歌謡界のトップスターに君臨し続けた中森明菜(56)がまもなくデビュー40周年を迎える。
ここ数年は公の場に姿を見せていないが、デビュー日の5月1日、並びに6月17日には40周年を記念してWOWOWで過去のライブ映像が配信されるなど、今もなおその人気は衰えていない。
しかし、’89年に自殺未遂を起こして以降、90年代には事務所トラブル、’10年に無期限活動休止を発表するなど波乱の多い人生でもあった。
’81年、15歳で『スター誕生!』で山口百恵の『夢先案内人』を熱唱したことをきっかけに芸能界入り。
翌’82年に“ちょっとエッチな美新人娘”というキャッチフレーズでデビューし、同年発売した2枚目のシングル『少女A』ですぐさまブレイクを果たした。
松田聖子を代表とするそれまでの可愛らしいアイドル像とは異なる、明菜の不良っぽい雰囲気と歌声は、多くの人を魅了。
瞬く間にトップアイドルの座へと登り詰めたのだ。
‘85年の『ミ・アモーレ』と、その翌年に発売した『DESIRE-情熱-』では、史上2例目となる2年連続の日本レコード大賞受賞の快挙を達成。
その後も数々の賞を受賞し、明菜はアイドルとしての絶頂期を迎えることになる。
何もかも順調に見えた明菜だが、プライベートでは悩みを抱えていたようだ。
’89年7月11日、当時交際していた近藤真彦(57)の自宅で左肘の内側を刃物で切って自殺を図ったのだ。
帰宅した近藤に発見された明菜は、病院へと緊急搬送され一命を取り留めた。
明菜は近藤と共に’89年12月31日の大晦日に、一連の騒動に関する会見を開いたが、その会見は”結婚を連想させる金屏風の前での謝罪”という異様なものに。
明菜の辛そうな面持ちに、世間からは心配の声が相次いだ。その後、近藤とは破局した。
この件を境に、明菜の周りではトラブルやスキャンダルが多数報じられるようになる。
女優として活躍したり、『Dear Friend』(‘90年)などのヒット曲を発売したりする一方で、事務所やレコード会社の移籍を繰り返す。
その後、徐々に活動の範囲を絞っていった明菜。’10年には体調不良により無期限の活動休止を発表したのち、’14年末に『紅白歌合戦』に出演。
’16年からはカバー・アルバムを発売するなど本格的に再始動したが、’17年のディナーショーを最後に公の場には一切姿を見せていない。
デビュー40周年を迎える今年、明菜の歌声を聞くことはできるのだろうかーー。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ad1b6795bd2c598f6898e5936b9cec55fd31933
ゲーム
仕事せんで蓄えで生活できとるんかな?
>>5
芸能事務所が働き相応の報酬を、過去にちゃんと払ってるといいな。
私は泣いたことがない
>>9 玉置浩二と井上陽水従えて歌ってるのド迫力
>>9
歌のキャラと真逆の性格だよな
素顔のままでとかドラマに出ても、セミリタイアというかもう現役じゃない感が出ていた
平成に時代が変わったらすでに過去の人になってた
昭和から平成というのはそれぐらい大規模な地殻変動があったってこった
金屏風がなくても、平成の時代について行くのは無理だったと思う
>>14
歌番組がもれなく終了して風向きが変わってたが、あの事件がなければ、元の事務所にいてアルバムとコンサート中心の歌手にスライドしてたかもしれない。
あの事件とその後の独立、はしこ外された、金使い込まれたの連続技は過酷過ぎた。
>>14
えっそうかな
素顔のままでの時が1番良かったと思ったけど
>’14年末に『紅白歌合戦』に出演。’16年からはカバー・アルバムを発売するなど本格的に再始動したが、’17年のディナーショーを最後に公の場には一切姿を見せていない。
活動休止から一度復帰してたの知らなかった
>>34
14年の紅白は見てて本当に辛かった